わたしは動物的勘が発達していますから、遠くからでも去年来た伊那の匂いを嗅ぎわけることができます。 車に乗って伊那の家にから何キロも離れたところまで来ると、もう目的地が近いことがわかるのです。
はじめてここに来たときは、ほとんど一日中檻の中に入れられていたのですが、それでもママに抱かれたり、パパに紐につながれたりして家のまわりを散歩したので土の感触、草木の香り、風の林を渡る音など、自然がどんなに心地よいものであるか知ることができした。
次の年も最初は檻に入れられていたのですが、わたしが慣れたことを知った家族はだんだんと自由に歩かせてくれるようになりました。 初めは扉を閉めた家の中だけで自由でしたが、古い田舎の家にはわたしが自由に出入りすることのできる所がいくらでもあります。
そもそも、障子なんか一度破ってみればなんてことはありません。 縁の下を散歩してクモの巣をつけて帰ってきたり、部屋に閉じこめられているはずのわたしを庭でみかけることが何度かあるうちに、最初は心配していた家族も安心してわたしを自由にしてくれました。 家のまわりは庭と小川と林と野原と畑ですから、わたしは自由にあそびまわれるのです。
ところがじきに、普段誰も住んでいない家のまわりは近所のネコの遊び場となっていることがわかりました。 自分の縄張りだと思っている彼らは、都会から来たわたしがいることが気に入らないらしく、外で遊んでいると文句を言ってくるのです。 わたしはここがすっかり気に入りましたし、因縁をつけられる筋合いはありませんから断固として自分の遊び場を守ることにしました。
昔から攻撃は最大の防御と言いますが、縄張りを維持するためには半径百メートル四方は自分の領地にしなければいけません。 ここで半径百メートルというと、近所の家が3〜4軒入ってしまいますから、遠征も必要になります。 また、われわれの習慣として少なくとも一晩は敵を領地に立ち入らせない様にしなくては領土として認めさせることができませんから、徹夜でがんばらなくてはなりません。
3日目の午前、わたしは近所の猫どもを排除する作戦を開始しました。 まず、蔵の裏から庭を横断して散歩する敵を待ち伏せして追い払い、次に畑を挟んで家の南隣の家に来る敵と戦って激戦のうえ勝利しました。 そして、牛のいる家、東と西の隣の家にも遠征してすべての戦闘で敵を排除した後、翌朝までの不寝番をはじめたのです。 この間は、おなかが空いても誰に呼ばれても敵が領土に入らない様に見張っていなくてはなりません。
みんながわたしのいないことに気づいて心配し始めたのは、作戦を開始した日の午後です。 朝見たきりで、わたしがご飯を食べに帰らないので心配したのです。 家のまわりで、わたしの名前をなんども呼ぶのですが、やっと敵を排除したばかりのわたしにとって、こんな時にのこのこと出て行くわけにはいきません。 領土が確定するまで、領地に入る一切の敵を追い払わなくてはいけないのです。 こんな時に、もしも家族につかまって檻にでも入れられたらせっかく獲得した領土が水の泡です。
家のまわりでわたしを見つけられなかったみんなは、わたしが迷子になったと思い込み、近所に聞き込みを開始しました。 何軒かの家では、わたしが縁の下で野良猫どもと戦った声を聞いていて、捜索協力を頼みに行ったおじいさんとおばあさんとママの3人に「これまでに一度も聞いたことのない大声でネコが喧嘩をしていた」とか「黒と白の猫を茶色の猫が追いかけて行った」という情報を伝えました。 その頃、わたしは家のまわりを重点的に押さえるべく、敵の散歩ルートにあたる庭の茂みの中で待ち伏せをしたり、縁の下からじっとにらみを利かせたりしてました。
パパのように車で半径1Kmもまわって見ても、わたしが見つかるはずなどありません。 わたしの習性を良く知らないみんなは夜中まで心配して起きていましたが、わたしは翌朝の6時に縁の下から土間へ抜け、障子を破って家族の寝ている部屋に戻りました。
先月ひとこと紹介した、ご近所のヤナセさんのお宅の子猫のロビを、ご家族が仙台に行く2日間預かりました。 わが家では久しぶりに見る子ネコに緊張してしまいました。