
関東地方は朝晩寒い日が多くなりました。 例年より冬の訪れが早いような気がします。
写真の蕨市立図書館の「アケビ」は、今年たくさんの薄紫色の実をつけました。
今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。
(尾は口ほどに)
我が家の家族は、人間は笑うのに猫は笑わないという理由で、猫は人間みたいな高等動物ではないと言います。
わたしは、解らないヤツは勝手に言っていればいいんだ!沈黙は金だ!とおもっていましたが、黙ってバカにされる手はないので一言いっておくことにします。
少し話が飛躍するようにみえるかも知れませんが、そもそも、笑うことが高等かどうかということに問題があります。 人間は自分たちが高等で他の動物は下等だという前提に立って高等動物と下等動物をきめています。 進化の過程がどうしたとか、細胞の数がどうしたとか、能の重さがどうしたとか、道具をつかうだのと理屈を付けているようですが、所詮「人間が高等だ」という点からスタートしているのです。
わたしたち猫にいわせれば、人間なんて今の世界を支配して横暴を働いているだけで本当の意味で進化なんてしていません。 何が本当に大切で、正しい生き方がどんなものかも解らず、道具を使って力に任せて横暴を働くのは進化でも何でもないと思うのです。
能が発達しているというのなら、どんな風に知恵を使うのが正しいかを最初に考えるのが筋と言うものです。 人間は、ときに環境を破壊し、戦争をして人間同士が殺しあい、多くの罪もない動物や植物まで犠牲にしています。 人間という価値の中心をもっと狭くして、民族とか国家が価値の中心におくこともあるようです。 わたしたち猫だって縄張り争いをしないこともありませんが、まずは争いをさける努力をし、仕方ないときでもルールを守り節度を持った喧嘩をします。
前置きが長くなりましたが、わたしたち猫は笑いません。 ほかの動物の多くも笑いません。 バカ笑いなんて絶対にしません。 顔の表情をくずして笑ったり泣いたりするのは、生物全体のスタンダードではないのです。
では、生き物に感情が無いかといえば勿論そんなことはありません。 また、当然ですが感情があるのですから表に出して周囲に伝えます。 ただ表現の仕方がちがうのです。
わたしたち猫は、常に毅然とした表情をしながら、目や尾で気持ちを表します。 特に尾は大切です。
たとえば、嫌なことをされたとき、尾で床を叩きます。 最初は「いやだ」といって尾を左右に軽く揺すります。 それでも駄目なときは「やめて」といって尻尾を強く振ります。 それでもまだ解ってくれないときは、尾で床を強く叩いて「いい加減にしろ!」と主張します。
そこまで伝えても駄目なワカランチンは噛まれてもしかたないのですが、大抵のばあいはそんなヤツを相手にしても意味がないので、自ら席をたつことにしています。 時には「ウー」とか「ニャッ」などと言葉にして言うこともありますが、尾で表現しても解らないような鈍感なヤツにわざわざ口で言ってやることはないのです。
これは生き方の美学と言うものです。
昔は人間のなかにも生き方、死に方に美を求めた人が多くいたとだれかに聞いたことがありますが、残念ながら我が家の家族を含め、わたしは滅多にそんな人間に会ったことがありません。
人間の美学は尻尾とともに退化してしまったのかもしれません。

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