1 月 の ネ ル 物 語


 あけましておめでとうございます。 21世紀になりました。
 新しい世紀が人類と生き物達にとって幸せな世紀であることを心より祈念します。
パスカルを含めて家族は新年を九州で迎えました。 福岡の元日は薄曇りのち晴れです。



 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(首輪)
 わたしは、原則として首輪をしない事にしています。
猫は、犬なんぞと違って自由と独立を大切にする自我の確立した動物ですから、首輪のような束縛を受けるのが嫌いなのです。
首輪をしているとノミが付いたときに首輪の下に入り込んで追い出すことができなくなってしまったりもします。
ところが、家人にはそのことが十分理解されていないようで、都心のデパートへ買い物に行ったママが、さんざん待ちくたびれているわたしに「ネルさん、いい子で待ってたからおみやげだよ!」と言って買い物袋から出すのが新しい首輪だったりするのです。
そんな時は心底がっかりしてしまいます。 鰹節パックでも買ってきてくれれば良いのに、「誰がそんなものするか!」といった気分です。 じっと我慢して長い時間お留守番をしたのに何の意味もありません。 「今度留守にしたら家の中をズタズタにしてやるぞ!」って思ってしまいます。
ママの言うのには、真珠がついた首輪を付けるときれいな猫に見えて、野良猫と間違えられないのだそうです。 我が家が買う首輪ですから、真珠と言っても偽物に違いありません。 そもそもわたしは滅多に家の外にでないので、野良猫と間違えられる心配はしなくて良いのです。
それに、気品のあるわたしと野良猫では、身のこなし、毛並み、目つきのどれをとっても誰が見たって一目瞭然のはずです。 有名人にしか違いの判らないネスカフェゴールドブレンドなんかとは違うのです。
 首輪のある無しという、浅薄なことで区別されるのは心外というものです。 内面から香りたつ教養が違うのです。
最近は、わたしの主張が通って外出時以外は首輪をしなくて良いことになりましたが、以前は赤とか黒とかの首輪をさせれたものです。

わたしの首輪には、名前と連絡先を書いた名札がついています。
 迷子になっても誰かが助けてくれるようにです。
 わたしがまだ若い頃、お風呂場の窓から外出して迷子になったことが何度かありました。
高層住宅というものは、平面世界に適合した生き物には甚だ不便にできていて、元の家に戻ろうとしても同じ配置の家が上の階にも下の階にもあって、我が家に戻ろうとして入った家が別の家だったりするのです。
わたしは、我が家に戻ろうとして同じ風呂場の窓からそっと入ったのに、じつは別の家でパニクッてしまいます。
良い家だったらそこの家族になるのも悪くはありませんが、相手の都合もあるため我が家に電話を掛けてもらいママとタカシが迎えに来ることになります。
きっと、あまりに毛並みの美しい立派な猫なので勝手に飼うわけにはいかないと思って首輪の連絡先に電話を掛けに違いありません。
 勿論、家族がわたしの帰還を涙を流して喜び、正直に電話をして貴重なわたしを返してしてくれた人に感謝感激雨霰で頭を下げ続けたのは当然の事です。
 それにしても、家に帰ったあとで「今度家出をしたら許さないからね!」ときつい口調で言って、「物を壊したりして迷惑を掛けなくてよかった。」「電話が来たときはネルが何をしでかしたのかと思って冷や冷やした。」「こんど同じ事があったらうちの猫ではありません。としらばくれよう!」というのは何かの間違いだと思います。


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