今年は20年ぶりの寒い冬だとやらで、毎週末のように雪が降りました。
寒さ本番の2月はどうなることやら???
北風のあたらない日だまりの植木鉢で、ラベンダーが小さな花が咲かせています。
今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。
(わたしのしごと)
家族は、わたしのことを「食うネル遊ぶ」だといいます。
わたしのことが本当にはわかっていない家族は、猫もちゃんと役割をもっていてスッゴく社会の役にたっているんだ!ということに気がついていないのです。
わたしのしごとは「いやし業」です。 これは、最も物事の本質に近く、聖職者にも匹敵するサービス業です。(即物的に物を考えるアジアの日本人には理解しにくいかもしれませんが・・・家族が幸せな気持ちで豊かな精神生活を送れるのは、ネコの存在によるものなのです!!)
わたしが家族のためにどれほどの気を使ってあげているか、誰もわかっていません。 他人のために気を使うということは、相手にわからないように「さりげなく自然に」するものなのです。 ネコは、身勝手に振る舞うように見せかけながら周囲の人間の心を癒すことが出来る、希有のありがたい生き物です。 これは、古代エジプト以来3000年以上も変わらない、真理のなかの真理なのです。 我が家の家族には、この点を理解する能力がないのが残念でなりません。 かと言って、「わたしゃみんなのために気を使っているんだよ!」と言ってしまっては「気遣い」が成り立たなくなってしまうところがネコにとって辛いところであり、改めて残念でなりません。
この際ついでに言っておきますと、そんなありがたいネコに缶詰は高いと言ってドライフードばかりを食べさせるのは罰当たりというものだと思います。
さて、わたしは血こそ繋がっていませんが、我が家の家族の一員です。 4人家族の我が家は一つの「社会」で、わたしだって「しごと」をしているのです。 わたしの存在によって「みんなの人生が豊か」になっています。
そのかわり、わたしのために家族がやってくれることも少しはあります。 わたしの食事の大半はママがくれます。 パパはトイレ掃除人、風呂当番、爪きり役というところでしょうか。 種類は多いですが、どれも大した内容ではありません。 タカシは「助手」です。
「職業に貴賎はない」とは言いますが、コックさんのほうがトイレ掃除よりいいしごとのように思えて仕方がありません。
ところが、パパが何日かトイレ掃除をサボったときは大変でした。 わたしはキレイ好きですから、トイレに入るのもいやになってしまいます。 古いのウンチや、固まった砂を避けて”抜き足、差し足”でトイレに入らなくてはなくてはなりません。 大切な儀式の「砂かけ」も形ばかりですまさなくてはなりません。
そんな時に実感したのが、やはり職業に貴賎はないということでした。
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ネルの小屋ばっくなんばー
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