9 月 の ネ ル 物 語


 だいぶん涼しくなりました。 8月の後半から夜になると秋の虫の声が賑やかです。
今年は夏が早く来た分、季節の移り変わりが全体に早いようです。



 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(ネコマタ)
 ある休日の朝、タカシが突然立ち上がって「ネルさんは今日をもってネコマタになりました!」と宣言しました。
 それは、わたしが10歳になった「緑の日」のことです。 正確な誕生日のわからないわたしは、我が家の家族になったときの月齢からママとパパの結婚記念日と同じ4月29日が誕生日とされているのです。
タカシは、「ネコは10歳をすぎるとネコマタになる」ということを聞いてこう宣言したのでした。  ネコマタというのは、猫又と書いてネコが歳をとると尾が二つにわかれて化け猫になると言うものです。 わたしは尻尾が二つにわかれていませんし、今のネコにとって10歳なんてのはそれほどの歳でもありません。 わたしのことをネコマタと言うなんて本当に失礼なヤツだと思います。
ところが、良く考えてみると、無学なタカシがネコマタのことを詳しく知っているはずがありません。 こんなことを吹き込むのはママに違いないと気づきました。 少しはパパの可能性もありますが、パパはこの手の知識をあまり持ち合わせていません。 その点、ママは古典や故事に詳しいので、まず間違いありません。 ママが教え込んだのに決まっています。
 聞くところによれば、昔、吉田兼好という人が書いた「徒然草」の第89段の物語に”「山ならねども、これらにも猫の経あがりて、猫またになりて、人をとることあなるものを」といふ者ありける・・・”と書あるそうです。 歳をとった猫が化けて人を襲って食べると言う人がいるという意味ですが、わたしたちネコはトラではないのですから、いくら歳をとってもそんなことは絶対にしません。 ネコマタ伝説、これはネコに対する許しがたい偏見です。
 「徒然草」では、猫又の話を聞いて怖くなった臆病なお坊さんが、夜、自分の飼い犬がじゃれたのを猫又と勘違いして腰を抜かし川に落ちたというものでした。 吉田兼好さんは猫又を信じていなかったようなので安心しました。
  それにしても、うその話を吹聴したママはいけないと思います。


(ネルの家族よりひとこと)
 このところ株価が下がったり、リストラの話でいっぱいです。 構造改革には「痛み」を伴う、という話から痛みが必要だ、になって早く痛みを受けなければとなってしまっています。 目的と手段が転嫁されて、まるで痛みが生じることが良いことのように言われ始めています。
 でも、漠然と痛みといっても誰がどの程度痛みを受けて、その代償の恩恵は誰が受けるのでしょうか?
 国民の生活に関することなのですから、これから起きることを明確にし、そして痛みを受ける人が生じることなくソフトランディングする道を見つけるのが国の指導者の仕事ではないのでしょうか?



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