4 月 の ネ ル 物 語


 近所のライラックが咲きました。フランス語ではリラです。
 シャンソンにもなっている「リラの花咲く頃」とは、フランスで「一番良い季節」を意味するそうです。(宝塚歌劇団では歌詞の「白いリラの花」が「すみれの花」に置き換わっていますが)
 ネルさんが生きていれば、「語呂がわるいから日本では”リラ”が”スミレ”でいいのよ!」という(元)塚ファン、ママの発言や、「ライラックより桜で団子と酒がいいな!」というパパの主張が日記に書かれてしまうところです。

 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(とっておきのはなし 6)
 聞くところによるとその頃、我が家に帰ったパパは「ペット屋の近くでネルに似たネコがいたけど、呼んでも来なかったからネルではなかった。と思う・・・」とママに話をしていました。
と思ったママがパパに問いただしたところ「茶トラネコが少し離れた塀の上にいたので呼んだけど、振り向きもしないで消えてしまった。茶トラはどこにでもいて、みんな同じ色だから・・・俺が散々呼んでも出てこないし、もうペット屋の近くには居ないのに違いない。」と答えたそうです。そしてパパは「ネルはもう遠くに行ってしまって、ペット屋の周辺を探しても無駄だろう。諦めた方がいい。」と言ったというのです。
 折角楽しく遊んでいるわたしがパパの呼びかけに振り向くわけがないのです。すぐに叩くパパには誰も寄っていきません!! 探しても無駄だというのは、自分が探しに行くのがイヤだったからに違いありません。パパは何にもわかっていないのです!
こんなパパの報告の結果、捜索は打ち切られ、以後はママとタカシが折を見て探すことになりました。といっても、タカシが小さいのでママが探す時間には限りがあります。
 わたしは、だんだんニケと疎遠になりました。ニケがほかのネコと仲良くすることに文句を言ったため喧嘩になり、その後は一緒にいることがなくなっていました。ほかに友だちのいないわたしは、食事をするのも大変でした。一人で食事場所に行くと、余所のネコがいてわたしを寄せ付けません。ご飯に近づくと振り向いてウナリ声をあげ威嚇します。更に近づくと、かみつかれそうになりました。それでもじっとしていたら、いきなり向かってこられて一目散に逃げました。  ネコには縄張りがあって、勝手に他人の縄張りでは食べ物にありつけない決まりだったのです。 散歩をするのにも他のネコに遭わないようにしなくてはいけません。余所のネコの縄張り勝手に歩いたりしても因縁を付けて追い出されます。最初の数日間はニケがいつも近くにいて、彼の縄張りを使わせてもらっていたからこそ食事も、散歩も、日向ぼっこも他のネコに邪魔されずにできたのです。 ニケが近所の顔役なので、わたしも好きなことが出来たということが、だんだんとわかってきました。生きて行くには、喧嘩に勝って実力で領地を獲得しなくてはいけない。それが外の世界だということがわかりました。
 食事が十分でないとだんだんと体力が弱ってきます。水飲み場も決まっているので、わたしは水たまりで喉を潤さなくてはなりません。我が家は線路の反対側で遠くて帰れません。家族が迎えに来れば良いのですが、もう誰も来なくなってしまいました。 ママとタカシが来たときに出ていけば良かった・・・ パパが来たときに叱られるのを我慢して出ていけば良かった・・・ うちにいたときは、毎日ご飯があって、安心してお昼寝ができて、暑くも寒くもなくて・・・ 家族のみんなはどうしているのかな?・・・ そんなことが、たくさんたくさん思い出されて悲しくてなって、涙がこぼれてしまいました。もう家族と会えないかもしれない・・・  こんなことならペット屋から出なければよかった・・・ ペット屋にいればご飯と水と安全だけはあったのに・・・ いくら後悔しても始まりませんでした。


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