10 月 の ネ ル 物 語



 味覚の秋本番です。休日の夕食に、我が家では1匹100円!の新鮮な秋刀魚を沢山買ってきて食べました。
食卓の横に陣取ってお裾分けにあずかるパスカルは、日頃敬遠しているパパに寄り添って、苦い”はらわた”には見向きもせず、身の部分ばかりを要求していました。

 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(お引っ越し)
 わたしがホームページを開設するずっと前、まだ家にパソコンも無い頃のことですが、我が家は近くへ引っ越しをしました。
 わたしは、それまで引っ越しなどというものが世の中にあるとは全く知りませんでしたが、それは突然にやってきました。
 秋のはじめ頃からなんとなく家族の動きがあわただしくて変でしたが・・・まさか、わたしの生活の基礎、世界の存在そのもののような「我が家」が無くなるなんていうことがあろうとは、夢にも思ってはいませんでした。
 家族の外出やお客さんが多くて、この頃あわただしいのがいやだなと感じていたときです。ことの起こりは、初冬に我が家へ大量の段ボールが運び込まれたことでした。わたしが「こんなに沢山の段ボールがあっては、どれに入って遊ぼうか迷ってしまうではないか!」と喜んだのもつかのま、棚から本が次々と段ボールへ移されてゆきました。次の日は衣類、食器とタンスや押入の物が・・・ 段ボールが、だんだんと積み上がって高くなり、最初は一部屋に集められていたのが、とうとう入りきらずに別の部屋にあふれて、そのうちに我が家は足の踏み場もなくなってゆきました。わたしは?というと、いつもの居場所は無くなったものの、段ボールの山の上に登ることができたので、かえってご機嫌でした。
 そんな風に我が家に大変化が起こり始めた2〜3日後の早朝、見知らぬオジサンがドッとやってきました。ピンポーンと玄関のベルを鳴らしてやってきたこの人達は、パパに挨拶するとあわただしく我が家に入ってきました。わたしは、顔見知りでない人が自分の家に入ってくるのが大嫌いです。ひとことでいえば、わたしは京都の高級料亭と同じで「一見さんお断り」なのです。家族みんなの家ですが、わたしにとってのお城であり、唯一の安心できる場所です。知らないお客さんが来たときは、別の部屋へいって隅に隠れていることにしています。
ところが、この日来た人たちは、一挙に我が家に入ってくるだけでなく、どの部屋へも遠慮なく踏み込んで家の中の物を次々と運び出しました。段ボールを全部運び出したオジサン達は、わたしの座る椅子やテーブルまで持ち出して、あろうことか不動の存在であるはずのタンスや机、テレビ、冷蔵庫まで動かします。パパやママがやめさせるかと思いきや、家具を動かすのを手伝う始末です。すっかり怖くなったわたしは、避難している押入のなかまでオジサンが来るや、遂ににげだしました。パニックに陥ったわたしは、たまらずにベランダからお隣のNさんの家へ助けを求めました。
 Nさんのおばさんになぐさめてもらい少し落ち着いたわたしは、犬を飼っているNさんの家にいつまでも居るわけには行かないと我に返りました。物を動かす音が消えたのをみはからって、ベランダのすき間から覗いてみると、我が家はただの「がらんどう」になってしまっています。わたしの好きな椅子も、テーブルも、タンスも、なんにもありません。そこは壁と床とただの空間があるだけです。日本沈没と同じくらいの大事件、いやそれ以上、天地がひっくり返るほどの衝撃です。何が起こったのかわからず、どうすることもできなくて、ふるえながらベランダに座っているとパパがわたしを捕まえて抱き上げました。わたしは、とっても不安で、これからどうしたら良いのかわからなくて、そして、我が家をこんなふうにしたパパに対してすごく怒っていまいした。
 パパが、わたしを檻に入れると家族みんなで駐車場へゆき、我が家の車オースターに乗ると5分ほどで知らない家に着きました。そこには、なんと我が家にあった椅子や机があります。不思議な現象でした。壁や廊下の匂いも感触も違うので明らかに我が家ではありませんが、たしかに我が家の一部があるのです。
 そこは、我が家に比べると廊下が長くて部屋の配置が少し複雑ですこし広いマンションした。わたしは、極度に緊張しながら、慎重に、ゆっくりと各部屋の匂いを嗅いで回りました。何度も何度も見回って、敵や危険がないことを確認しました。そこが新しい我が家で、天地逆転の大騒動がお引っ越しというものだとわかり、落ち着いて休むことができたのは、それから何日も後のことです。
わたしは、もう二度と引っ越しをするのはゴメンだ!絶対にイヤだ!と思いました。


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